平成20年12月31日(水)
2008年は忙しい一年でした
 何と、たぬきの腹鼓を書くのが今年で2回目。考えて見れば百姓仕事が忙しく、年のせいでバソコンと疎遠でした。  あっと言う間の一年でしたが、今年もいろんな事がありました。  中でも、悔いの無い人生(歴史的使命)を終えたいろんな人が旅立ちました。  とりわけ、自然農法の創始者、福岡正信先生が極楽浄土へ旅立ちました。
 8月18日、一日遅れの新聞(朝日)が届いた。郵便受けから取ってきた連れ合いが、 「父さん、福岡先生が亡くなったよ。」と一際大きな声で私に告げた。「何々、貸してみろ。えー、葬儀は今日午後1時30分じゃないか。今何時や。」 「午前11時。」「よし、今からだと間に合う。」
 大豊インターまで20分。伊予インターまで高速を飛ばした。何とか間に合った。  「先生との出会いが無ければ、今日のわたしは存在しません。いまだに、先生にお叱りを受けるような百姓をしていますが、 でも日々を自然の中で楽しく過ごしています。ありがとうございます。先生、安らかにおやすみ下さい。」祭壇の前で、じかにお伝えすることができた。
 H15,2,23、交通事故以来H19年の暮れまでの間、農作業ができなかった。でも、今年は春からことことと農作業に携わることができました。
 今年は栗・山女も良くなった。とりわけ、4アールの圃場では、ハッピーヒル「福岡先生が創り出した品種」と栄光は最高の出来栄えだ。 栄光の背丈は175センチ、穂実の数は350以上も合った。
 私が取り組んできた有機農業のお米「究極の米・棚田米」が「魚沼のこしひかり」より付加価値の高いお米として消費者に認められ、 10キロ1万5000円で販売できています。
 では、皆さん良いお年を・・・来年お会いしましょう。

平成20年1月29日(火)
上杉鷹山&藤沢周平
 農園は近年にない大雪で農作業もできず、久しぶりに、藤沢周平 最後の力作(小説) 「漆の実のみのる国」を読むことができた。
 上杉鷹山とは、なにか因縁的なつながりを感じる。鷹山とは、なんの関係もなく 別の 理由から50年前、長男に「鷹生」と命名したく役場に行くが、鷹の字は名前には当用 できなくて駄目だった。そんなことで、鷹と言う字が頭から消え去ることなく本屋で 鷹山の本を手にしたのも偶然ではなかったと思う。その後、鷹山に関するものには度々 出会ってきた。
 2005年の町長選挙に出た時「立候補者7つの質問」の「好きな言葉」の問いに 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」この鷹山の言 葉を、行政マンとしては、もっともふさわしい言葉として選んだ。
 米沢盆地に高畠町がある。そこで「まほろばの里」づくりが有機農業と結びついて、 米沢の歴史と文化を受け継ぎ、花を咲かせている。 嬉しい限りである。

 

                      南国の大雪(積雪15p)                    元旦の日の出