平成23年9月21日(水)
『さよなら原発』東京集会・6万人決起する
 何十年ぶりに嬉しいニュースが報じられた。「脱原発を求め、東京・明治公園に六万人が結集した」チェルノブイリの事故後、 東京日比谷公園で「原発はいらない」二万人集会に大阪からチャーターバスで参加した日から随分と歳月を経た。
 集会で、大江健三郎さんは「(原発に)抵抗する意志を政党幹部や経団連の実力者に思い知らせる必要がある。」と宣言しました。
 人々を騙し、利益を得れば、詐欺罪で刑務所行きです。原発は誰が、何のために進めたか、騙した奴らはだれか、今こそ暴き出し、 鉄槌を下さなければならない。先ず、時の総理中曽根康弘・マスメディアの帝王、正力松太郎・経団連会長、NHK会長を務めた、 東電社長の岩井外四が結託して推進した。その利権に群がった政治家(県市町村の首長を含む)・御用学者に、この際責任を取らし て公職から追放しなければならない。
 「賢者は、歴史から学び、愚者は、経験から学ぶ」と言われるが、政治家、学者、電力会社は福島原発事故から愚かにも何一つ学び 取ることができず、図々しくも「原発」にしがみつき、やめようとしないこの輩に、大江さんは、「私らはそれに抵抗する意志を持 っているということを、想像力を持たない政党幹部や経団連の実力者に思い知らせる必要がある。そのために何ができるか。私らに は民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう。」と言っています。
 「原発はいらない」このスローガンを第一義的政治的課題に捉え、原発推進者を政治の舞台から引きずり降ろしたときに民主主義が 開花し、白い波のレースに縁取られた日本列島に「原発」のない美しい海が甦り、国民は安全で安心して平和に暮らせる日々がくるでしよう。

 私は、9月12日の定例議会で町長に『伊方原子力発電の中止、又は、廃炉の請願書の提出を求めた質問』をしました。つぎの通りです。
 福島原発事故が起きてから半年がたちましたが、なんの進展もありません。原発事故は福島だけの問題ではなく、類県に放射能・猛毒 「死の灰」をまき散らして、おおごとが起きています。
 ある酪農家の方が、牛舎の壁に「原発さえなければ」と書き置きをして自殺しました。
 昨日、原発事故から半年がたち、テレビでは各局が特集を組んでいました。牛を捨て、故郷を捨てた福島の葛尾(かつらお)村」の3家族の ことが一時間、放映されていました。全て牛を安楽死させ、埋葬、埋めることも許されず、放牧地へ放置して故郷を去って行く姿に、年のせいか、涙が出てきました。 放射能の汚染された所から立ち退かされた人々の悲痛な叫びも「原発さえなければ」と後悔の無念さで天を仰いでいる姿が映し出されます。
 福島の事故で得た教訓の一つに、県と市町村が、かってに誘致し、多額金を引き出し、甘い汁を吸って来たあげくに事故を起こし、 その累を隣県市町村に及ぼしながら、謝罪も責任も取らないことです。
 地球は40億年もかけて放射能を沈め、人間が住める環境を作りました。ところが、自ら地獄からの死者プルトンを呼び戻したことで、 いずれ、人類は一度は滅びるでしょう。これは、誇張して言っているのではありません。
 三月議会で「死の灰」について広島で投下された原子爆弾は、大きさはビンポン玉、重さはTsのウラン爆弾と話しましたが、 ついでに言っておきますが、長崎はプルトニウム爆弾です。
 広島・長崎は、この、2種類のウラン爆弾とプルトニウム爆弾の威力の実験場とされたのです。この事は、峠三吉の原爆詩集の『その日はいつか』 のなかの一節で(ああそれは偶然ではない、天災ではない、世界最初の原子爆弾は正確無比な計画と、あくない野望の意志によって、日本列島の上、 広島、長崎をえらんで投下され、のたうち消えた四十万のきょうだいの一人として君はしぬる、)こう述べています。
 「死の灰」が地球上にばらまかれ始めたのは、8月6日より21日前の7月16日、ニューメキシコでの初の核実験からです。
 その後、アメリカ・ソ連・中国が競って核実験を行い、とりわけ、アメリカとフランスはビキニ環礁で67回も実験を行い、 その中でもよく知られていますのが1954年に行われた水爆実験です。威力は広島の1000倍です。160q離れた海上で被爆した、 第5福竜丸のこともよく知られています。珊瑚礁を巻き上げ(南の島に雪が降る)じゃないですが、白い「死の灰」を浴びたのです。
 そして、原発関係では、ウインケール・スリーマイル・チェルノブイリ・我が国の福島原発事故で、地球上に「死の灰」がばらまかれ、 空気・水・土壌が汚染しました。
 これからは、否応なしに「死の灰」を浴びながら、吸いながら、食べながら、生きて行くことになりますが「地域住民が住めない土地」 になることだけは、断固、避けることを考え、行動を起こすことではないかと思います。
 我々が住んでいる隣県を見れば、愛媛県伊方原発を除けば三重、和歌山、香川、徳島、高知、大分、宮崎県には原発はありません。 愛媛の伊方原発が無くなれば、どこかの原発で事故が起きても土地を追われることはないと思います。
 本山町議会は三月議会に於いて、「脱原子力発電を求める」意見書を内閣総理大臣宛に提出しております。
 原子力政策・原発の是非の問題は、野田政権では「原発再稼働する現実路線」を打ち出しています。電力総連(組合)は 「電力の安定供給のため、原発は必要な電源」とした上で「再稼働に組織を挙げて取り組む」ことを大会で決めました。 一方では、作家の大江健三郎さんたちは「脱原発」を訴える一千万人署名に取り組んでいます。私は署名します。
 今後、原発の問題の是非については時間をかけて、それぞれ各人が判断し、取り組んで頂ければ良いと考えます。
 先ほど述べましたが、とりわけ、「地域住民が住めない土地」にさせない責務が地域の議員・首長にはあると思うのです。
 そこでですが、伊方原発は、中央構造線と言う日本最大の活断層の上に立って、危険極まりないと言われています。 その『伊方原発』が事故を起こす前に、止めるしか方法がないと思うのです。
 従って、「伊方原発運転中止」の運動を起こして行くことが、地域住民の命を守る立場にある地方の議員・首長に求められて居ると思います。
 以上、質問の根拠と要旨を述べ、町長の伊方原発運転中止、又は、廃炉の請願書を四国電力に出すよう求めます。町長の所見をお聞きします。

  (農園はゆっくりと実りの秋を迎えています。)

 

  平成22年4月1日(木)
農園の近況
 考えると、随分と鼓を打っていない。
 年が明けて三月も経ち、四月を迎えた。
 農園は、豊後梅の花も散り、菜の花・水仙・レンギョウ・雪柳・スモモ・ソルダム・サクランボ・桃の花盛り。 でも、寒の戻りで寒い日と冷や雨が続き、農作業も思わしくできない。
 この半年で、随分と農園は様変わりをしている。センス&ワンダーガーデンは小屋も完成し、おろ焼きも終え、整備して花木も植え終えた。
 定年後の農的な田舎暮らしは、農地取得制度の三反もあれば広すぎるほどだ。でも、あえて「棚田農園」に取り組んでいるのは、 郷土が、農村が、特に棚田が寂れて行く現状に「何とかせんといかん!」そんな思い、そんな夢や希望が、「美しい農村・豊かな農村」 の再生となって、農村景観、風景の再生・棚田の復活・環境に優しい有機農業を具現化している。
 昨日も一日中冷たい雨が降り続いた。
           鶯の鳴き声さびし里の春・・・今日この頃


  平成21年11月3日(火)
尾崎知事への直訴
  知事さん今日は、   先日、5月27日、知事さんが本山町へお出で下さった折思いきって三点、直訴させて頂きました北村です。
 知事さんの「高知県産業振興計画」を直接伺いまして、久々に身体が熱くなりました。その後、知事さんのホーム ページを拝見して益々好きになりました。とりわけ、あまたある武道、スポーツの中で合気道をされていることに心が引かれました。
 私、「定年帰農」15年で75才の老人ですが、「草莽崛起の会」の末席に加えて頂ければと思っています。  私は、どちらかと言えば、龍馬よりも晋作・松陰のファンです。恥ずかしながら座興に歌も作ってみました。
 「頭に、詩吟・「自ら不忠、不孝の人となり、国政をして維新たらしめんとほっす」
 歌詞、一節「七十四騎の反逆児、雪の高山寺決起する。西に東に檄が飛ぶ、人民安堵の旗のもと、歴史開く鬨の声」
     二節「嘶く馬に跨りて、目指すは北の萩の城。真の割拠を勝ち取らん、人民安堵の旗のもと、狼煙が上がる村々に」
     三節「ひるまず進め騎兵隊、敵の砦打ち砕け。熱き血潮は燃えたぎる、人民安堵の旗のもと、維新の世明け闘わん」
     後の詩吟・「生をうけて二十八才朱夏、革命に殉ず」

  本山町には、「本山町振興計画」H12〜21が制定されています。その中に「有機の里づくり」が明記されています。
  私は、町議として、H11〜17の6年間「有機農業による6次産業の具体化」を提案し、先進事例として、宮崎県の綾町・ 山形県の高畠町・愛媛県の内子町から学ぶことを唱えてきました。ここでの特徴は、人づくりと結びつくことで活性化を達成させています。  私は、6年間頑張って見ましたが具体化できませんでした。
 5月27日、知事さんに(共産党の町役場(代官所)に幾ら訴えても聞く耳を持たないので。
   @小倉山の県民の森、里山公園
   A農村風景の再生〜棚田の復活
   BU,Iターン者の受け入れ政策、農地の取得の緩和、住居建築の緩和 策を直訴いたしました。

  知事さんの「高知県産業振興計画」は「農林漁業」の6次産業化による付加価値を高め、外貨(弥太郎〜とにかく売れんといかん) を稼ぎ、高知県の経済を活性化させる政策と受け止めました。それに、6次産業を×算で認識され、1次産業を生産段階で付加価値を高める1,5次産業と 位置づけ発展させています。
  とりわけ、「高知県産業振興計画」で示されている「中山間地域の産業づくり」「第一次産業の生産地の強化」とは、本町では権代・古田・高角・ 吉延・大石などの農家の生活基盤である棚田の崩壊を食い止め、再生を図ることと考えます。その方向付けは「集落営農」の取り組みが行われていますが、 遅々として進んでおりません。
 農村景観の再生、棚田の崩壊を食い止め、復活させる一つの選択肢として、私が取り組んでいる棚田農園を開拓することで、棚田の復活は可能です。  「棚田農園の原型」放棄された所を、田畑に戻せるところは田畑に、植林は伐採し、一部は必要に応じた小屋作りの材料に、木の株で田畑に戻せない所は、 果樹園(茶、ブルーベリー、栗、梅、柿、ゆず、アケビ、山菜(ウド・タラ・イタドリ・ゼンマイ・ワラビ・フキ・ワサビ・クレソン・などを自生さす)、 「棚田農園」を、個人農園・団体・企業農園・大学実習農園・集落農園等を進めることです。
 とりわけ、集落による棚田農園をアクションプランに加えていただきたいのです。   考えられる「集落棚田農園」の原型は、見学・都市との交流・農事体験・みそ作り体験・炭焼き体験・山菜取り体験・新米のかまど炊き体験ツアー・ 果樹〜農産物の採取体験ツアー(観光農園)・農園には農家民泊施設を作り、農園で作った有機米と季節の旬の食材でもてなす(都市との交流)等々他にも いくらでも考えられる取り組みがあります。この取り組みが成功すれば、各集落が特徴のある棚田農園作りに着手します。また、全国に発信でき、全国から見学・ 視察に人々が訪れ全国に波及します。
 私は、実践を踏まえた取り組みを嶺北の代官所の山下・讃野両氏に「百聞は一見に如かず」農園に来て頂き、私なりに力説しましたが力およばず、残念ながら お二人も本山町代官所と変わりませんでした。  私は、この取り組みを諦めがたく再度、知事さんに直訴するしだいです。

  私は75才になりました。後は、のんびりと自称本山町一番の環境に恵まれた農園で過ごせばよいのですが、ほっておけないのが生まれ育った郷土が、農村が、 棚田が寂れ行く状況に心が痛み、農村景観の再生、棚田の復活、環境にやさしい有機農業に取り組んでいます。
 私は最初、30アールの田に・原野5アール・植林8アールがついている土地を取得し、原野は宅地にて植林の木材で住み家をつくり、植林の伐採跡は果樹園に開拓しました。 その後、耕作放棄地も取得し復活させ、今では、3ヘクタールの農園となり、園内に交流小屋とワーキングホリデーの丸太小屋を設備し、見学・交流・自然農体験・貸し農園・ 炭焼き体験・観光農園・更には、センス&ワンダーガーデン・ツリーイングの取り組みも進めています。
  昨年は、「究極の米」棚田米にも取り組み、インターネット販売で魚沼のコシヒカリより消費者に評価され、10キロ1万5、000円(1俵9万円)で販売しました。 そのノウハウも分かりました。
 私の農園地は「棚田の郷」大石で、高知県の典型的な中山間地域です。60年前は50町歩の棚田とキノコの宝庫の里山があり、秋には黄金の波打つ桃源郷の里でした。 今では昔の姿はありません。でも、高知県有数の棚田が残っています。
 定年後の田舎暮らしは農地取得のできる30アールもあれば広すぎるくらいです。でもあえて、棚田農園に取り組んでいるのは、先にも述べましたが、 郷土が農村が棚田が寂れ行く状況を黙視できず、農村景観の再生、棚田の復活、環境にやさしい有機農業に取り組んでいます。
 この取り組みはいずれ多くの人々に影響を及ぼすだろうと思っています。すでに、都会から、田舎暮らしを希望し本町に在住している若者夫婦が、放棄され夏場に牛を放牧している 所を里山農園にと取得の話しを進めています。

  「百聞は一見に如かず」知事さん、ご足労ですが「棚田の郷」大石の棚田を視察に来て頂けませんか、お願いいたします。
 棚田の一番のメイン所が荒れ果てています。この場所が棚田農園に復活すれば、名実共に高知県1の棚田となります。知事さんの目指す中山間地域の産業振興の一助となると思っています。

   「棚田は、万里の長城に匹敵する」  司馬遼太郎

            真美農山北村自然農園   高知県長岡郡本山町大石1298  北村太助


平成21年2月25日(水)
上杉鷹山&尾崎知事
 尾崎知事は、二月定例議会の所信表明で「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」 この鷹山の言葉を政治信条として、行政に取り組むと述べていた。
かのアメリカ大統領ケネディに日本の記者が「あなたが、日本人で尊敬できる政治家はだれですか。」と尋ねたら、 即座に「上杉鷹山」と答えたとのこと。恥ずかしながら、記者団の中で上杉鷹山の名前を知っている人はいなかったのではないでろうか?
   小生は、2005年の町長選挙に出た時「立候補者7つの質問」・「好きな言葉」の問いに「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、 成らぬは人の為さぬなりけり」この鷹山の言葉を「有言実行」行政に取り組む信条として、もっともふさわしい言葉として選んだ。
 平成20年1月29日(火)のブログで上杉鷹山&藤沢周平についても述べた。
    県議の中で、何人が「上杉鷹山」の人物像を知っているだろうか? 県の職員の中でも知っている者はどれだけいるだろうか?
 知事さん「上杉鷹山」をお手本に「有言実行」がんばってください!

       うぐいすの初鳴き日 2月22日(日)
 

平成21年1月13日(火)
住民の血税 2億1,800万円が消えた
 無利子のお金13億をかき集め、その金を銀行に預け、その利子で運営資金を捻出し、大工さんの養成事業を始めた。
ところが、ずさんな運営、管理、監査で不明金2億3,000万円が出た。事業は頓挫した。
裁判沙汰になり、一人の職員に2億1,800万円を掠め取られていたことが判明した。
理事である5町村の首長さんの談合で、5町村の「出えん金」で穴埋めをしちゃった。  横領の穴埋めに、各町村の血税を勝手に議会にも図らず使った。
「そんなことは、許されません!」と土佐町と本山町で「首長さんに使ったお金を、町にお返しするよう!」住民(小生)が裁判所に訴えた。どうなる事やら?


平成21年1月6日(火)
ひたすら人民に奉仕する戦士、澤山保太郎
   町長になって、早くも2回目の正月を迎え、意気盛ん!
 矢でも鉄砲でも持ってこい、恐れはしないぞ。「掃除するを要する、一切の人を害する虫、全て敵なし」
 元旦から休むことなく、「海の駅」直売所の店頭に立ち、トイレ掃除、助役もいらない、教育長もいらない。 寝る、食事の時間以外は全て人民に奉仕、いやいや四六時中、人民奉仕。今年は、リボルト社も始動開始。
「破邪の剣を右手に持ち、左手(ゆんで)に愛の旗を掲げ、東洋町長は前進します。」
  皆さん、お手を拝借。潮風にのせて、三三七拍子、フレー、フレー、澤山! フレ、フレ、澤山!!


平成21年1月3日(土)
2009年 又日が昇る
 今年の夜明けは、里は真っ白な雪化粧、暮れからの寒波襲来でとても寒い元旦を迎える。
 この寒さがこたえてか、元気のない鶏が2日の朝うずくまったまま外に出ないので、首に巻いていたタオルをそっと掛けてやる。 しかし、昼前に見に行くと冷たくなっていた。土に埋めてやりたいが、何かに掘られてはかわいそうなので、荼毘に付した。 鶏でも、世話をした者が死んで行くのは辛いものだ……。
 昨年の7月には、愛犬エリーの息子のオスカーが2年間もガンと闘い抜き、永い眠りについた。 オスカーは、立つのがやっとの状態でも寝床には一度も排泄をせず頑張り、7月6日の朝早く、娘を待って頭を膝にもたれ、息を引き取った。9才だった。
 農園が3ヘクタールと広くなり、夢も広がり、楽しい一年の始まりだ。しかし、今年も何度か辛い涙を流す日もあることを覚悟して……。