自然農実践記


 Uターン定年帰農1年目の奮戦記
私は、今から14年前(平成6年)に田舎暮らし(農ある暮らし、百姓になることを決め・環境に負荷を少しでもあたえない、自然農による自給自足を心がけ、 自分の労働に満足して生きる道を求め)定年帰農しました。

 私の実践が、これからU・Iターンされる方々にお役に立てば幸いです。
 私の故郷は、戦国時代本山梅渓の本城があったところです。土佐の国(高知県)は東は長曽我部・西は中村氏・梅渓は、今の高知市を含めた中央部を領有していた豪の者でした。
 本山町は歴史ある町です。人口は多い時は1万人を超えていましたが、過疎化が進み、今では4,000人を切るまでに激減しています。  この町の役場の所在地に家を借りて、仮住まいとし、13キロ上流に20アールの田んぼを借りて「農ある暮らし、土(神)との付き合い」をはじめました。
 借りた田んぼは12枚の棚田で、田んぼの面積より岸の草刈り場が多いところでした。早速、鎌二丁と当地で使われている平鍬一丁を購入し、それと、 住まいの原点を求めて荻の里に旅をした折、足を延ばして輪島に行ったその時に、小さな鍛冶屋の店先で見つけた鍬を買ってきたのと合わせて、鎌二丁と鍬二丁で始めました。
 集落での稲作りは、集落の田役から始まります。まず田役に参加し、集落の人々にご挨拶をして、一日を共に仕事をすることで、集落の人々とのコミュニケーションを図りました。 田んぼの取水は、高知県では有名な県立公園工石山の北側を水源とし、途中でタンクへ取り込んで浄化し、飲料水として取水した残りを田んぼに供給しています。 天然のミネラルたっぷりの飲料水での稲作りでした。
 この年は、近年にない日照りが続き、水不足で早明浦ダムが干上がり、旧大川村役場が現れ、テレビで全国に放映されるなどしました。  私の田んぼと集落は、何ら影響が無く、稲たちはすくすくと育ちました。

それでは、(自然農による)一年目の稲作りを紹介します。
 12枚の田んぼに12種類の稲を作ることにしました。4月の15日から各田んぼに苗床を作り、籾蒔きを行いました。昨年の稲株のある所を畳み一枚ぐらい稲株と草を削り、 表面を平にして、そこに籾を厚くもなく、薄くもなく蒔き、そこに薄く土をかけます。その上に、稲藁を4.5pに切り、土が見えない程度に振りまき、その上に稲藁を覆い、 風に飛ばされないように小さな長竹を重しにする。後は苗の育ちを待ちます。
 その間に、各田んぼの水周りのよい畝作り、各田んぼへの水取りの段取り、草刈を二・三回行いました。6月に入ると、早稲、中手、晩稲と苗が育ってきます。 育った苗の田んぼに水を入れ、苗を30センチ間隔に一本植えて行きます。この時は田んぼ一面に草が覆っています。その草を倒しながらの田植えです。@  早稲、中手、晩稲と順次行っていきます。田植えはなかなかの重労働でした。でも、6月中には終えました。


エピソードがあります。

 私たちが耕さない田んぼに、それも草の中に稲の苗を植えているのを見ていた近所の方が、この地区で農業をしている義兄に、「おまんの弟さんは、 去年の田へ耕しもせず稲株に苗を植えよるが、行って教えてやらんかよ、そして耕してやりや。」(ここは土佐の方言です)と親切に伝えてくれた方がいました。
 後は、水管理と草刈の毎日が続きます。広い草刈場で連れ合いと二人して手鎌で刈っても刈っても追っつかず、刈払機を6万円も出して購入しました。 「百姓するには機械はいらぬ。スコップ一丁、鍬一丁、 鎌の二本もあればよい。」と勇んでいましたが、残念残念。刈払機の働き者には脱帽しました。
 13qの道のりの田んぼへ毎日通いました。先にも述べましたが、近年にない日照り続きで水不足の年でしたが、この集落は、天気は良いことは稲に良く、 ミネラル水をたっぶり吸収したこの上ない元気なお米を育てることになりました。
 早稲、中手、晩稲と、順次色づく秋を迎えました。いよいよ、稲刈りです、早稲は手鎌で刈り、(はで)掛けをしました。時々農機具店が展示会を催します。 その展示場に立ち寄った折、1万円の中古のバインダーを見つけ、購入しました。ものはためしと早速中手を刈って見ると、これが調子の良い働き者で、 中手は一日で刈り終えました。晩稲もバインダーの助けをかりることになりました。
 半月ほど乾かし、脱穀です。足踏み脱穀機は、大阪の大型ゴミで捨ててあった物を持ち帰っていました。この脱穀機の出番だと嬉しさを密かに感じていたのですが、 バインダーを買ったA店のオーナーに「北村さん、中古で安い、ええ(良い)ハーベスターが有るが、買わんかよ。」と声を掛けられ、刈払機、 バインダーの働き者に脱帽していた小生、またまたAさんの誘惑に負けて10万円の出資となりました。でも、脱穀は天気の良い日に一日で終えました。
 収穫量360s。1年は有に食べられる量です。。新米を頂くには、白米にしなければならない。それには、精米機が必要です。精米機のことは川口先生も、 「精米機はやむを得ないもの」と言われていたので、精米機は購入することにし、籾すりと精米が出来る新品を18万円で購入しました。
 早速新米を、それも川口先生の作られている「豊里」を頂くことにしました。まず、籾すりにした玄米を何度も何度も掴んでその感触を味わいました。更に、 白米にしたものを掴んだ感触は、玄米とは又違ったグググっと手の中で声を出し、溢れないこの感触は、この半年の労働の喜びでした。夕ご飯の支度、夕食7時に合わせ、 5時に米研ぎをしてスイッチON。定刻に炊き上がり、10分蒸らす。おかずは、秋ナスは嫁には食わすなと言われるナスの糠漬け一品。 よそったご飯に「いただきます」 の一礼。お茶碗の湯気を鼻から何度も吸い込み、香りを味わい、そして初めて口に入れる。百姓・自然農、自分の労働に満足して生きて行く一歩、この半年の労働が凝縮した喜びです。